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所蔵資料Catalogues

公開中の所蔵資料

公開中の所蔵資料目録です。本館では、熊本大学の歴史、熊本を中心とした地域に関する資料、そして水俣病、免田事件、ハンセン病に関する資料を中心に収集・整理・保存・公開を行っています。


 水俣病 関係資料
Minamata Disease

水俣病に関する資料を保存・公開しています。水俣に関する資料につきましては、「熊本地域」目録もご参照ください。  → 水俣病に関する資料を所蔵する他館の情報は コチラ

  総合目録 *2024.05.24 更新

※ 岡本達明資料 および 水俣病研究会資料 の寄贈受入と資料整理は、基盤研究 A:水俣病事件の記憶術と(脱)アーカイヴ構築―未来の人文社会科学的総合研究に向けて(2016-2020 年 研究代表者:慶田勝彦、研究課題/領域番号16H01970)との連携によって推進されています。詳細は各資料「解題」をご覧ください。

※ 2022年度以降の水俣病関係資料の整理・公開は、基盤研究 A:21世紀における他者の痛みの交差性:<水俣病>事件アーカイブズ研究の人類学的展開(2022-2027 年 研究代表者:慶田勝彦、研究課題/領域番号 22H00036)との連携によって推進されています。


【2023年度公開】
 「記憶と祈り」関係資料 MD05(461点)

記録映画作家・土本典昭氏と土本基子(旧姓は青木基子)氏が、展示「記憶と祈り」のために撮影した患者遺影写真一式および関係資料。土本典昭氏と土本基子氏は、1996年開催の「水俣・東京展」(水俣フォーラム 主催)における展示・水俣病死者群像「記憶と祈り」の公開に向けて水俣や芦北地域の家々を訪ね、500枚の水俣病犠牲者遺影を撮影した(1994〜95年)。なお、その後、水俣フォーラムなどによっても追加の遺影集めが行われた。

本資料は、それらの遺影写真のうち紙焼き459枚と、遺影写真のデータ表(紙媒体)、土本基子氏が記した当時の日記(ワードファイルでの提供, 1994年11月3日〜1995年10月28日)からなる。遺影集めの様子は、ドキュメンタリー映像『みなまた日記−甦る魂を訪ねて』(2004年, 記録・編集 土本典昭, 編集協力 土本基子, 製作 映画同人シネ・アソシエ)の冒頭にも収録されている。展示「記憶と祈り」については、水俣フォーラムが発行する展示図録『水俣展 MINAMATA Exhibition』(52-53頁)中で紹介されている
本資料群の利用の詳細については文書館まで。


【2020年度公開】
 丸山定巳資料 MD03(資料 4211点, 図書 2245点) 総合目録

本資料群は、故・丸山定巳(まるやま さだみ 1940〜2014)が作成・収集した資料と書籍から成る。丸山は熊本大学文学部、熊本学園大学社会福祉学部、熊本学園大学水俣学研究センター等を歴任し、都市・環境社会学の観点から水俣病事件を研究した。同時に、水俣病第1次訴訟原告団を支援する目的で1969年に組織された「水俣病研究会」のメンバーとして、法学者・富樫貞夫らと共に第1次訴訟判決後も関係資料の収集・整理・保管と資料集出版を推進した。

本資料群には水俣病研究会、推進室、水俣病事件研究(1995年政治解決・もやい直し 等 1959〜2014)、講義資料、手帳、研究ノート、水俣フィールドノート、科研、不知火海研究プロジェクト、書籍(社会学・水俣病・水俣・環境・公害等)、論文 等の資料が含まれる。水俣病研究会の動向や1970〜2010年代の水俣病事件をめぐる患者・被害者および行政の情勢を丸山の視点から概観することができる。

資料目録   図書目録

 徳臣晴比古資料 MD04(214点)

徳臣晴比古(とくおみ はるひこ 1917〜2014)は熊本大学医学部第一内科学教室に所属した医師であり、専門は神経内科。1967年 熊本大学医学部教授、1973年 熊本大学医学部附属病院長を併任(〜1977年3月)。1982年に定年退職、熊本大学名誉教授。1956年に組織された熊本大学医学部研究班(旧名:水俣奇病研究班)の一員としていわゆる有機水銀説の発表(1959)に寄与した。1960年発足の患者診査協議会(厚生省、委員長:貴田丈夫 熊本大学小児科、1961〜1969水俣病患者診査会)に委員として参加。1969年に制定された「公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法」に基づき制定された熊本県及び鹿児島県の公害被害者認定審査会会長に選任され就任(〜1972)。

本資料群にはご遺族により保管されていた書籍、論文、雑誌・刊行物・記事、新聞記事、研究ノート、原稿類、手紙、映像、そして徳臣晴比古 著 『水俣病日記』(1999 熊本日日新聞情報文化センター)の原資料である手帳・日記が含まれる。映像資料は、撮影に携わった徳臣氏本人の希望により本学にてフィルムからデジタル化されたもの。閲覧・利用については文書館まで。


【2019年度〜公開】
 岡本達明資料 MD02(3835点 ※2022年度末更新) 総合目録 解題

岡本達明(おかもと たつあき 1935〜)は東京生まれ、1957年に東京大学法学部を卒業後、新日本窒素肥料株式会社入社。1964年にチッソ水俣工場第一組合専従執行委員として水俣配属、1970〜78年に同組合委員長を務める。工場労働者やメチル水銀の被害を受けた人々を含む水俣の地元民から水俣と工場について学び、聞き取り調査を行った。1990年のチッソ退社後、『聞書水俣民衆史』『水俣病の民衆史』『水俣病の科学』を出版。編著作に記された詳細な聞書は他に類を見ず、明治期以来の水俣の人々の暮らしや事件史の詳細、そしてチッソ水俣工場の実態を知るための必携書である。本資料群は岡本氏編著作の一次資料として用いられた聞き取り録音カセットテープ、書き起こし、調査ノート、チッソ工場関係の機関紙等から成る。岡本氏自身による資料保存と整理分類を経て、ほぼ欠損なくこれらを本館に所蔵することができた。

A 『聞書水俣民衆史』全5巻関係 ID: MD02-A ※2022年度末更新
B 『水俣病の民衆史』全6巻関係 ID: MD02-B ※2022年度末更新
C 『水俣病の科学』関係 ID: MD02-C

(媒体ごとの目録は以下)
カセットテープ
フラットファイル・ノート・機関紙 ※2022年度末更新
その他



【2018年度〜公開】
 水俣病研究会資料 MD01(285点 ※2020年度末時点) 総合目録

水俣病研究会は、チッソを被告とする第一次訴訟において被害者・弁護団を支援する目的で1969(昭和44)年に結成され、裁判での主張の論拠と裏付けを提示するために多くの資料を収集した。本資料群は、資料を後世に遺し事件史理解の一助にしようと編纂された『水俣病事件資料集1926-1968 上・下』に収められた厳選資料と、その他の収集資料(1910〜2018年)から成る。推定総数3万点。
※準備ができた目録から順に公開いたします。 目録・資料公開方針

  以下、水俣病研究会が設けた中分類毎の目録 ※テーマと目録は随時更新します
  • 文系一般 (98点)
    歴史、政治、経済、社会学等の論考、資料等を編成。
  • 化学・生物 (81点)
    チッソ工場における生産工程や不知火海の環境汚染に関する論考、資料、報告。
    医学関係を除く。
  • 法律論議 (76点)
    法学、法律関連資料。法律実務家の法律論から法学者の論考、法文等。食品衛生法、水俣病認定審査会条例等も収録。

  • ・政治解決  (準備中)
  • ・裁判書面  (準備中)
  • ・行政不服  (準備中)
  • ・熊本県   (準備中)
  • ・支援運動  (準備中)
  • ・関西訴訟関係資料  (準備中)

同会と収集資料および水俣病事件については、以下のPDF資料をご参照ください
※PDFは水俣病研究会の許可を得て『資料集』内容から抜粋・コピー・デジタル化した
 ものです

  『水俣病事件資料集 1926-1968 上巻』   『水俣病事件資料集 1926-1968 下巻』

 【〜2017年度公開】
 衞藤光明資料(98点)

熊本大学医学部病理学第二講座で行われた水俣病に関する病理学的研究の論文を中心とする資料群。

 甲斐文朗資料 (8点)

甲斐文朗(かい ふみあき)は熊本大学名誉教授。熊本大学医学部衛生学教室および熊本大学理学部在籍時に研究・執筆した水俣病原因物質特定や有機水銀化合物の実験に関する研究の論文、履歴書、新聞資料。

 熊本大学大学院生命科学研究部細胞病理学分野資料 (252点)

熊本大学医学部病理学第二講座で作成・保存されてきた記念誌等。第二病理で行われてきた水俣病に関する研究論文、寄稿が中心。 ※「大学史」ページにも掲載



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